森の幼稚園で考えた「サイエンス」って何だろう

2026年10月19日月曜日

海外生活 森の幼稚園

t f B! P L

 



娘はアメリカで3年間、森の幼稚園に通いました。

通っていたのは、Cedarsong Wayという教育理念をもとにした森の幼稚園です。

雨の日も、真冬の日も、基本的には森の中。

寒がりの私は、最初は「本当にこんなに長い時間、外で大丈夫なのだろうか」と心配でした。先生や周りの保護者に教えてもらいながら、ウールの下着やスノースーツ、ブーツ、手袋などの装備を揃えました。

娘は、言葉の問題もあって、最初はかなり不安そうでした。

駐車場で私の手を離れて、一人でベースキャンプまで歩けるようになるまで、3か月くらいかかりました。

その3か月間、私は毎朝スノースーツを着て、森の幼稚園の先生や子どもたちと一緒にベースキャンプまで歩きました。

今振り返ると、あの時間も私にとっては宝物です。

娘は森で過ごすことに慣れてくると、寒さなどものともせず、毎日どろんこになって、最高の笑顔で帰ってくるようになりました。


「サイエンス」って、こういうことなのか

娘がまだ森に慣れず、毎朝一緒にベースキャンプまで歩いていたころのことです。

ある日、先生がしゃがんで、子どもたちに声をかけました。

「ねえ、みんな。みんなが歩いている、ここの地面には草が生えていないよね。どうしてかな?」

子どもたちが口々に答えます。

「みんながふむから」

「たくさんの人が通るから」

先生は、

「そうだね。草が生えているところの土はふわふわしているけれど、ここはみんなが通るから、かちかちになっているね」

と話しました。

そこは駐車場から近い場所で、森の中でも人がたくさん通るため、土が踏み固められ、草木が生えにくくなったり、水たまりができたりしていました。

森林管理のチームが、迂回路を作るなどして対策している場所でもありました。

先生は、張られているロープを指さしながら、

「今、みんなが通る道を少し変えて、また草が生えるようにしようとしているんだって」

と説明しました。

そして、

「Big Word(難しい言葉)で言うと、Erosion(浸食)っていうの」

と付け加えました。

私は、少し驚きました。

Erosionなんていう難しい言葉を、こんなに小さい子どもたちにも教えるんだ。

あとから聞いてみると、先生は少し考えて、こんなことを話してくれました。

Erosionという言葉は、聞いてもきっとすぐに忘れてしまう。

難しい言葉を知っていること自体が大事なわけではない。

それよりも、

人が歩くことで土が固くなっていること。

そのせいで草が生えなくなっていること。

そういうことを、実際に見て、感じること。

目の前で起きていることに気づくこと。

そして、そこには「Erosion」という名前がついていることを知ること。

毎日見ているうちに、少しずつ変化していく様子に気づくこと。

それこそが、サイエンスなんだ。

私は、そんなふうに受け取りました。

この話は、今でもよく覚えています。

このほかにも、森の幼稚園では、「サイエンス」って何だろう、と考えさせられる出来事がたびたびありました。


「木が白い息を吐いた」

ある寒い雨の日の朝。

しばらくしてお日さまが出てくると、倒木から、湯気のような白い蒸気がふわっと上がっているのが見えました。

暗い森の中で、そこだけ光が差している。

とても神秘的な光景でした。

子どもの一人が言いました。

「木が白い息をしているね」

先生は、

「そうだね。私たちと同じだね」

と言いました。

みんなで、しばらくその光景を眺めました。

少し時間が経ってから、先生が静かに、

「It's called “evaporation” in science.」

と付け加えました。

でも、その場で大切にされていたのは、"evaporation(蒸発)"という言葉を覚えることではありませんでした。

みんなで同じものを見て、

「木が息をしているみたいだね」

と感じたこと。

そこから、

「なぜ白く見えるんだろう?」

という世界への興味が生まれること。

そして、その現象には名前があることを知ること。

それが自然な順番でした。

まだ英語を話し始めたばかりだった4歳の娘が、その日の帰宅後、夫に一生懸命話していました。

「木が白い息を吐いたんだよ。Evapolationっていうんだよ」

そのうち、「evaporation」という言葉は忘れてしまうかもしれません。

でも、あの日、森の中で見た光景は、きっと娘の中に残っている。

私は、そんな気がしています。


森の中に「自分の木」を持つ

森の幼稚園では、自分の好きな木を一本選んで、季節ごとに観察する活動もありました。

スケッチブックに、その木や葉っぱの絵を描く。

気づいたことを書く。

木の図鑑を開いて、葉っぱの形を見比べながら名前を調べる子、

スケッチブックにのりで落ち葉を貼りつける子も。

春には小さかった葉が、夏には勢いよく茂っている。

秋には色が変わり、実がつく。

冬には葉が落ちる。

虫に食べられた跡がある。

一本の木を季節ごとに見ていると、ただ森を歩いているだけでは気づかなかった変化が見えてきます。

そして、子どもが木のなどを文字で書いたとき、スペルが間違っていても、読めなくても、先生たちは必ずしも直しません。

その子が何に気づいたのか。

何を伝えようとしているのか。

まずは、そこを大切に受け取る。

正しい答えを教えることよりも、「あなたは何を見つけたの?」というまなざしがある。

それもまた、私には印象的でした。


言葉や知識はあとからついてくる

森の幼稚園で過ごす子どもたちを見ていると、「科学を教えている」という感じがあまりしません。

子どもたちが目を向けたものに、先生が言葉を添えることはあります。

Erosion。

Evaporation。

木の名前。

葉っぱの形。

季節の変化。

でも、それらは最初に「覚えましょう」と渡される知識ではありません。

まず、何かを見る。

触る。

踏む。

匂いをかぐ。

変化に気づく。

「どうしてだろう」と思う。

試してみる。

また見てみる。

そうして、自分の中に生まれた問いや発見に、あとから言葉や知識がついてくる。

そんな順番でした。


どろんこケーキという「研究」

娘が仲良しの友だちと夢中になっていたのが、「どろんこケーキ」づくりでした。

土と水を混ぜて、ケーキ型やマフィン型に入れる。

ひっくり返して、形を崩さずに取り出す。

葉っぱや花びらで飾りつける。

何度も何度も作っているうちに、きれいに型から取り出せる「ちょうどいい」土と水の割合を、手の感覚でわかるようになっていきました。

真冬には、前の日に「明日続きを作ろう」と型に入れたままにしていたケーキが、朝には凍っていることもあります。

そのうち、

「今日は凍ってるかも」「今日はたぶん凍ってない」

と、朝の森の様子から予想するようになりました。

面白い「研究」でした。


子どもが世界を「見る」時間

森の幼稚園で過ごした3年間を通して、「サイエンス」というもののイメージが少し変わりました。

サイエンスというと、実験や科学用語、知識を思い浮かべていたけれど。

もっと手前にあるもの。

目の前で起きていることに気づくこと。

「どうしてだろう」と思うこと。

自分の手や身体を使って、試してみること。

うまくいかなかったら、またやってみること。

昨日と今日の違いに気づくこと。

季節が変わると、何が変わるのかを見ること。

そして、そこに名前があることを知ること。

そんな小さなことの積み重ねも、サイエンスなのだと知りました。

頭だけではなく、手も、身体も、感覚も使って。

試して、また試して、感じて、考える。

森で過ごした時間には、そんな瞬間がたくさんありました。

それが将来どんな力につながるのか、数値や図に表せるようなものではありません。

ただ、子ども時代に、世界をじっくり見て、「なんだろう?」と思って、自分なりに確かめてみる時間をたっぷり持てたこと。

それは、娘にとっても、私にとっても、大きな贈り物だったと思っています。

そして今でも、娘が何かに疑問を持つと、納得するまで試してみようとする姿を見ることがあります。

森で過ごしたあの時間の中に、そういう姿勢の種があったのかもしれません。

「サイエンスを学ぶ」というより、世界をよく見ることを、毎日の中で学んでいた。

私が森の幼稚園で出会った「サイエンス」はそういうものでした。

このブログを検索

自己紹介

自分の写真
神奈川県在住、二児の母。日本とアメリカで子育てをし、現在は小学生の娘とホームエデュケーションを実践しています。「頭足人」って?

人気の投稿

QooQ